サクラスターオーに導かれて

11月24日は私の誕生日だった。

記念に南麻布のフランス料理「URAKAWA」を予約した。ここは知る人ぞ知る一口馬主クラブ「NWR(ニューワールドレーシング)」が会員専用にOPENしたレストランで、今は一般のお客さんにも開放している。

 2/2000ではあるが、NWRに入会して特典の会員価格で誕生日に託つけて利用した。入会しなかったら、生きている内にフランス料理店に足を向ける事など無かったに違いない。日頃は生息地界隈で、週に2~3回もつ焼きを頬張り、下町酎ハイで咽を潤す生活が続いている。

 

競馬に興味をもったのは1987年。大学のサッカー場のスタンドで、試合観戦中に初めて馬券を買って来てもらった処からスタートした。その日は菊花賞が行われるそうで、4歳(当時)クラシックの最終戦だと言われたが何の事だか分からない。勿論、新聞の見方も分かるわけがない。「菊なんだから白と黄色でしょ。」初めてなんてそんなものである。当時は単複と枠連以外無かったので、白黄の①-⑤1点に1000円渡して買いに行ってもらった。サッカー観戦の為、レースを視る事もなく結果だけ聞いた私は、17,400円の臨時収入に小躍りして喜んだ。学生には大金だ。当時の法律は、20歳を過ぎても学生は馬券が買えなかった様な気がする。守っている人がいたかは疑問だが…

勝った馬は、東信二騎手騎乗のサクラスターオーという馬らしい。その名前と「菊の季節にサクラが咲いた」のフレーズは脳裏に刻まれた。こうして私の競馬人生はビギナーズラックから始まった。後で分かった事だが、ビギナーズラックを演出してくれた東信二騎手の誕生日が、偶然にも同じ11月24日の射手座だった。ご縁を感じずにはいられない。ここから約5年の歳月を経て、新宿のパブ「来夢来人」でお互いに客として出会う事になるとは、その時には思いもしなかった。パブでは、たわいも無い話をさせてもらい色紙にサインを戴いた。この偶然はサクラスターオーが導いてくれたのかも知れない。

 

「URAKAWA」は南麻布の住宅群の中に潜むようにあった。

北海道浦川の食材と、アメリカ大使館の厨房で腕を振るっていたシェフが調理するとあって、期待と同時に作法に対しての不安で次第に脈が早くなる。小心者であり高血圧でもある。薄暗い店内に導かれて、コの字のカウンターに座りビールを注文した。改めてメニューを眺めると、数多くのワインボトルがラインナップされていて、その価格に目が飛び出た。○○万円が当たり前のように記載されている。どうやら私は場違いの世界に足を踏み入れてしまったらしい。メニューを閉じ、見なかった事にして平静を装った。

会員価格はコース料理で1人5,000円になっている。予約時に出資馬の名前を聞かれるルールに「アデュラリア」と、母馬の名前を告げ予約した。1/2000で9,000円の出資金額、それと維持費300円前後を毎月払えば、このサービスを年1回受ける事が出来、入会金、月会費、配当時のクラブの手数料が「0」なのである。これで馬さえしっかり走り出したら最高の待遇だと思う。

 

料理について上手く説明は出来ないが、まずはオードブル。外側からナイフとフォークを手に取りイチジクと生ハム、豚肉のパテと干し柿、フォアグラやルッコラ、プチトマト、バジルソース等…ビールがすすむ。

次にカンパチをオリーブオイルで和え、キャビア和梨を添えた皿が出てきた。(こんな食べ方があるのか)未知との遭遇である。

舌馴染みは無いが、美味い事だけはハッキリ分かる。シャーベットで口直しをして、メインのビーフシチューの皿に移る。食卓に出るゴロゴロ具沢山のビーフシチューとは違い、スープと言うよりはソースの海に煮込まれた牛肉が浮かんでいる様だ。ナイフには力を込めていないが肉が剥がれていく。ソースに浸し口に運ぶ。噛まずに飲み込めそうな柔らかさ。美味い。ソースにパンを浸した後、2度目のデザートと食後のコーヒーでコースは終了。普段は、量を重視の食生活だが、これは見た目の美しさの割には満腹感がある。満足して「URAKAWA」を後にした。この満足感は「NWR」に出資して冒険したから得たもので、そのキッカケを探すと荻窪に有る競馬バー「ラプソテイク」に至る。

 

荻窪駅に着いた2人は店に向かう。似た様な建物に一寸迷いながらお店に着いた。先程迄行われていた「広尾サラブレッドクラブ」の検討会の余韻で、参加者が大勢残っていた。大盛況だったことは間違いない。何とか会員たちの間に埋め込んでもらい、飲み直しのビールを頼んだ。

 

ここに来たのは2度目で、1度行ってみたいと思っていた矢先、開店2周年記念の告知を見つけ「お祝いに飲みに行こう」と妻を誘い初めて店に入った。飲み始めると競馬バーだけに一口馬主の話になった。私はすでに出資していて、妻も一口を始める案件が浮上した。マスターは きれいに製本された「NWR」のカタログを取り出した。勿論、自身も会員で「1/2000という新しい募集も始まったので、初めてには良いんじゃないか!入会金も会費も要らないし。」と勧められ、妻はカタログをめくりだした。そこで目に留まったのが1頭の芦毛馬、アデュラリア18だった。父はエイシンヒカリ、母父はクロフネである。実の処、この仔は当歳の頃から何度か目にしていた。生産者のナカノファームさんは、「ターファイトフラブ」に同期のジャスティシア18を提供していて、私も出資している。クラブのHPの情報更新された放牧動画に、仲良く映っていたのがアデュラリア18だった。当時NWRに提供された事には驚いたが、出資のシステムが変わり1/2000口も並行募集している今、エイシンヒカリクロフネが入った芦毛に出資しない手はない。1つ上の姉ネーロルチェンテは、11月7日に北海道競馬のブロッサムカップで優勝し、現在は大井の宗形厩舎に移籍。大晦日東京2歳優駿牝馬を目標に調整している。年末が楽しみである。結果、夫婦で2/2000口ずつ、合わせて1/500口出資する事にした。その後、間もなくしてアデュラリア1/2000は満口となった。芦毛人気は今だ衰えていない。

 

「広尾」の会員さんの間に埋め込んでもらった私達は場の雰囲気には未だ付いていけず、小さくHappy Birthdayの乾杯。ぼちぼち広尾さん達が帰り始め、少し広くなったテーブル席で相席になった、1本の林檎の木のオーナーをしているPさんと、四国から遠征に来ていたKさんと、テーブルに残っている広尾のカタログをめくりながら雑談を始めた。Kさんが、わざわざ四国からこの店を訪れた理由の1つには、病気のマスターのお見舞いも含まれていて、私の来店理由の1つでも有る。マスターは癌を患っている。癌細胞がまた転移し12月から再入院する事になっていて、不安と恐怖をツイートしていた。誕生日に託つけて来店し、入院前に何とか少しでも励ましたい、勇気を与えたい…は言い過ぎだが、それに近い想いはあった。確かに顔色も悪く、表情は疲れを隠せなくなっている。それでも沢山のお客さんに囲まれて、嬉しそうだ。殆んどの来店者はマスターを励ます為に集まっている。ただ、私には癌を患っている人への励まし方が分からない。「頑張って」とか「大丈夫だよ」の在り来りの言葉は、本人の苦しみを考えると軽くて無責任と思ってしまう。1人になった時の不安と恐怖には、その言葉が何の意味も持たなくなる様な気がしてしまう。それでも それしか思い付かない…。強い気持ちで癌と闘って、戻って来てもらうしかない。「負けるな、頑張れ」

 

いつの間にかPさんは帰っていた。6人の予約が入って席を移動した。そこいら中で競馬の話に花が咲いている。場を盛り上げているのは一口馬主クラブの話題がほとんどだ。ちなみに、私の出資馬のネージュダムール(ユニオン)は、前日の京都競馬 芝1400Mでデビューし、3着になって私を前祝いしてくれた。ヒルノダムールの姪っ仔で、父は亡くなってしまったスウェプトオーヴァーボード。橋本牧場さんから600万、一口3万円で募集に出ていたお手頃価格の仔である。優勝で祝杯を挙げたかったが、これまでの頓挫で デビューも諦めムードだった事を考えると、無事走ってくれただけでも万々歳である。何があって ここまで一変したのかは分からないが、馬は難しいと つくづく思う。それでも夢を見ながら考えて選び出す楽しさは、やめられない。当分の間は一口馬主の沼に浸かっていようと思う。

 

飲んでいた赤ワインのボトルが半分程になった頃、予約していた6人席のお客さんがザワザワ入ってきた。2次会の様子で盛り上がっている。30代から60代位に見える そのグループの中に、失礼だが小さくて可愛いお爺ちゃんがいた。そして、その中の若者が張り上げた紹介の声に、私は驚いて立ち上がってしまった。マスオさんの「エー!」の様に。「元G1ジョッキーのー、東信二さんでーす。」また会ってしまった。半ばパニックになって、二十数年前の「来夢来人」でサインを戴いた事を伝え、握手を求めた。だいぶ大きな声を出してしまった。新宿で誕生パーティーをした後に来店したそうで、隣に座って一緒に写真を撮らせてもらった。老いてはいるが、甘いマスクは健在だ。写真は東信二さんを挟んで3人並んで撮った。聞くと11月24日生まれの若者が 、もう1人そこに居合わせたのだった。勿論、彼は「東信二」の名前も知らなければ人物像も分からない。同じ日に生まれただけなのに旧友に会ったかのような親近感がわく。ここは日本でも有数の「11月24日生まれ」の人口密度が高い場所となった。隣のKさんもスマホで東さんを検索し始めた。騎手時代を見ていたのは、私の世代がギリギリかも知れない。同行していた中高年女性は「シンジマン」で本人を知ったらしい。その方からは、イベントの際にはツィッターで連絡を戴ける事になった。東信二さんは私の競馬史に於いては特別な人である。ここで出会ったのも偶然ではあるが、きっとサクラスターオーが導いてくれたに違いない。何かのイベントで また御一緒したい。

 

ボトルも空いて帰宅する事にした。マスターにお愛想を告げると「既にPさんが支払い済み」との返事。誕生日とはいえ、2回の面識でそこまで話し込んだ訳でもない私に、御馳走して何も言わずに帰るなんて…。妻とマスターと3人で「カッコいいねー」と溜め息が洩れる。そんなフレンドリーなバーなのだ。愛されるマスターと馬を愛するお客さんで、 この店は優しい雰囲気に包まれている。そして、また来店したいと思わせてくれる。帰り間際、その日参拝した、江戸川にある唐泉寺の癌封じと カエルの御守り、非売品の美浦トレセン オジュウチョーサンをマスターに渡した。困難をジャンプしてカエルのをまっている。と、下手な駄洒落で店を後にした。自分の無力さを感じる。強い気持ちで闘いに勝って、戻って来るのを心から待っている。「負けるな、頑張れ」

 

電車は、一眠りしている間に降車駅のホームに滑り込んだ。もうすぐ日が変わる。透き通った寒空に月が映え、風も冷たくなってきた。濃厚だった今年の11月24日がもうじき終わる。毎年この日を季節の境目にしている。明日からは嫌いな冬が訪れてしまう。